大学を出ての初職は損害保険会社の営業でした。入社面接の時から3~5年ごとに転勤があることは聞かされていましたが、若い頃は何だか旅行気分で考えていたような気がします。ウィンタースポーツに熱中していたため新人から長野県への赴任を希望していましたが、そうは思い通りにはいきませんでしたね。きっと仕事をさぼると思われたのでしょう。

転勤に驚くサラリーマンのイラスト

当時はバブルが下火になっていた頃でしたので経費削減の風潮があり、最初の勤務先は原則として自宅から通える地元勤務ということで大阪本社勤務となりました。いわゆるビジネス街にあったオフィスで激安ランチには事欠かなかった記憶はありますが、お仕事は見様見真似で記憶なしです。

今思えば、先輩上司からのパワハラ紛いの指導の日々でした。頭を小突かれるのは日常で土日のお休みも会社に呼び出されたり、カラオケ好きの先輩の聞きたくない歌を聞かされたりと色々ありましたが、当時はそれが日常でしたので不思議と悪い思い出ではないです。

それでも何とか長野県に転勤したかったので、上司に事あるごとに上申していましたが、下心丸見えで当然受け入れられるはずもなく、4年目に宮崎県に異動となりました。明らかに悪意を感じたものでしたが結果的には南九州の大らかな文化を堪能することができました。

本社での行動を反省して、宮崎支店では上司のご機嫌を伺いながら真面目に仕事に取組みました。そんなこともあり念願叶って長野支店への辞令が出た時には喜びとともに上司への感謝の気持ちもあったのでより一層仕事に励むことができました。

今では転勤族が懐かしいですが、取引先の金融機関等の担当者の異動のご挨拶が頻繁にあります。聞けばだいたい2~3年ごとに辞令があるようで、慣れたころに異動という外部からみれば何とも無駄というか理解し難いところはありますが、お金を扱う金融機関には独自のリスクヘッジがあるのでしょう。

今期で4年目に入る弊社ですが、お取引先担当者の交代は多い会社で3人目という先があります。取引額はあまり大きくないですが、あまりコロコロ変わると関係はさらに希薄になってくるものです。相性の良い担当者とのご縁があるよう弊社も精進が必要ということなのかもしれませんね。